微粒子の感覚学 § 9
 

刺激‐反応のループは複数の神経要素が互いに連結し、また一方の連結が他方の連結を切断することによって形成されている。そうした神経要素の連結と切断の中には、その反応への中継をなさないものもある。反応を中継する連結と切断をそのループの「幹」と呼ぶのならば、それから外れるものは「枝」である。





神経の秩序が複雑になってゆくのにつれて、枝の長さや数も増大してゆく。それぞれの枝にはその連結と切断の秩序がある。こうして、何らかの刺激が与えられるとき、音、明暗、色など、その刺激にともなう感覚は幹を通って特定の反応へと中継されるばかりでなく、枝を通って様々な連結と切断の秩序へと分散してゆく。そして、その刺激が再び与えられるとき、かつてと同じ枝につながる場合もあれば、逆にかつてとは異なる枝につながる場合もある。あるいは、別の刺激が与えられるとき、それと異なる枝につながる場合もあれば、逆にそれと同じ枝につながる場合もある。いずれにせよ、かつてと同じ枝につながる場合、それと平行してかつての感覚が精神において繰り返されることになる。この繰り返される感覚を私たちは「記憶」と呼ぶ。そして、ある刺激に何らかの記憶がともなうとき、その刺激と記憶とが連結することによって、その反応をもたらす刺激が新たに編成し直される場合がある。例えば、歌やダンスを学ぶ鳥たちの場合であり、学ばれた歌やダンスはテリトリーや求愛に関する刺激‐反応の幹に組み込まれている。また、記憶のともなう刺激を繰り返し与えることによって、最後にはその刺激がなくとも記憶だけで同じ反応を引き起こすことが出来るようになる場合もあり、この所謂「刷り込み」も記憶による刺激の再編成の一つである。
個体がある刺激に反応して行動するとき、その刺激‐反応の幹の活動はその枝の活動よりも活発である。しかし、これとは逆に、その枝の活動が幹の活動より活発になる場合がある。このとき、個体はその枝における神経要素の連結と切断に平行する感覚を知覚する。そのように知覚することを私たちは「想起」と呼ぶ。例えば、夢を見るということは、様々な刺激‐反応の幹の活動が不活発になり(この状態を私たちは「睡眠」と呼ぶのであるが)、その結果、その枝の活動が相対的に活発になり、その活発になった活動と平行する感覚が個体によって知覚されるということである。また、昔の出来事を思い出すということは、その枝の活動が幹の活動よりも活発になり、かつ、その枝がかつてその出来事を知覚したときと同じものであり、それ故、その活動が活発になるのと平行して、かつての知覚が精神において繰り返されるということである。いずれにせよ、想起は刺激‐反応の幹がその枝を持つのならば生じ得ることであり、それが生じたからと言って、その感覚がその幹から解放されているわけではない。枝と平行する感覚が解放されるためにはその幹を分解しなければならない。なぜならば、幹が分解されるとき初めて、その感覚と平行する神経要素の秩序はその「枝」であることをやめるからである。ところで、音、明暗、色など、神経なしにはあり得ない感覚がその刺激‐反応の幹から解放されるということは、その幹が分解されるということである。このとき、幹であることをやめた神経の秩序と枝であることをやめた神経の秩序が互いにつながり合う。そして、刺激であることをやめた広がりの内包量と外延量が互いに連結関係や切断関係に置かれることによって、何らかの分節体が生み出される。それ故、枝であることをやめた神経の秩序はその分節体と平行する神経の秩序につながることになる。こうして、その分節体の感覚は様々な連結と切断の秩序へと分散してゆく。
ある分節体が生み出されるとき、かつてと同じ神経の秩序につながる場合もあれば、逆にかつてとは異なる神経の秩序につながる場合もある。かつてと同じ神経の秩序につながる場合、それと平行してかつての感覚が精神において繰り返される。こうして、その分節体の感覚は何らかの記憶と結び付けられることになる。例えば、ある音楽が昔の出来事を思い出させるということは、その音の分節体につながる神経の秩序が他の秩序の活動よりも活発になり、かつ、その秩序がかつてその出来事を知覚したときと同じものであり、それ故、その活動が活発になるのと平行して、かつての知覚が精神において繰り返されるということである。この感覚と記憶との結び付きは刺激と反応の結び付きのように幹を形成していない。その分節体の感覚は様々な連結と切断の秩序への分散の過程で、その記憶と結び付くこともあれば結び付かないこともある。一方、神経の秩序に幹が形成されている場合、出発点における感覚‐活動は終着点における感覚‐活動と確実に連結されている。ところで、私たちはそうした刺激‐反応の幹から外れたところで、感覚と記憶の幹が形成されることを知っている。所謂「トラウマ(精神的外傷)」であるが、それは特定の感覚を特定の記憶へと中継する幹が形成されることであり、かつ、その幹の活動が活発になるとき、神経を持つ物体がその活動力を減少させ、それと平行して憂鬱、苦痛、恐れなど、様々な悲しみの情動が感じられるということである。逆に、そうした幹が形成されるとしても、その幹の活動が活発になるとき、神経を持つ物体がその活動力を増大させるのならば、それと平行して爽快、快感、希望など、様々な喜びの情動が感じられることになる。




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