微粒子の感覚学 § 5


 感覚に消滅するもの、繰り返されるもの、反復するものの三つがあるのはなぜだろうか。それは実体の有限様態にそれらに対応するものがあるからである。有限様態とは実体の変様である。この変様は実体の三重の変様である。即ち、実体の自らにおける無限様態への変様、実体の無限様態における極限様態への変様、そして、実体の極限様態における有限様態への変様である。それ故、無数の微粒子どうしが無限の広がりにおいて、互いに距離を持って存在し、かつ、無限に相互作用している。そして、すべての有限様態が無限の広がりにおいて、無数の微粒子どうしの無限の相互作用によって生成する。故に、有限様態には次の三つのタイプがある:
1. その広がりを占める微粒子どうしが何らかの運動や静止をなすが、その運動や静止が速やかになされなくなるもの。
2. その広がりを占める微粒子どうしが何らかの運動や静止を繰り返すもの。ただし、その運動や静止の繰り返しには、微粒子どうしの無限の相互作用によって絶えずそれからの偏差が生じている。
3. その広がりを占める微粒子どうしが何らかの運動や静止を繰り返すばかりでなく、その繰り返しからの偏差を巻き込んで、その運動や静止を反復するもの。
 無限の広がりを占める微粒子どうしは永遠に近づき合うか、永遠に遠ざかり合うか、あるいは、互いに静止している。また、そこでは微粒子どうしの無限の相互作用によって、一群の微粒子が他の微粒子たちと異なる運動や静止をなす。この第一特徴からの偏差は絶えず生じている。ところで、ある微粒子群における運動や静止が第一特徴をなすだけならば、その微粒子群を他の微粒子たちから区別することは出来ない。従って、その微粒子群は他の微粒子たちとともに無限の広がりを占めているだけである。一方、ある微粒子群における運動や静止が第一特徴からの偏差をなすのならば、その微粒子群は他の微粒子たちから区別される。この区別によって、その微粒子群の占める広がりは無限でなくなる。しかし、そのように限定されるだけでは、その微粒子群における運動や静止が繰り返されることはない。従って、その運動や静止は速やかになされなくなり、その有限様態は無限様態の中に消滅する。そうした有限な広がりどうしが互いに連結するとき、それらの広がりを占める微粒子どうしがその運動や静止を繰り返し始める。なぜならば、それぞれの微粒子群(X1,X2,…,Xn)における運動や静止が繰り返されるべく、それらの微粒子群の連結(X1+X2+…+Xn)において新たな相互作用が生じるからである。
微粒子群Xn(n≧2)における第一特徴からの偏差は、無限の広がりにおける無数の微粒子どうしの相互作用によって生じるものである。一方、それらが連結した微粒子群 
における相互作用はその有限な広がりを占める微粒子どうしの間にだけ生じるものである。即ち、X1とX2が連結するとは、X1における運動や静止がX2における運動や静止を繰り返させるように働き、また、X2における運動や静止がX1における運動や静止を繰り返させるように働くということである。仮にX1における運動や静止がX2における運動や静止を繰り返させるように働くとしても、X2における運動や静止がX1における運動や静止を繰り返させるように働くのでなければ、X1における運動や静止は速やかになされなくなるのだから、それらの運動や静止が繰り返されることはない。そして、X1とX2とX3が連結するとは、第一に、X1とX2が連結し、かつ、X2とX3が連結し、かつ、X3とX1が連結するという三つの連結のすべてが成立することであり、第二に、これら三つの連結のうち、二つは成立するが、残りの一つは成立しないことである。ただし、後者の場合、その連結しない微粒子群の運動や静止は互いに相手を排除しないという条件を満たさなければならない。なぜならば、仮にX1とX2、X2とX3がそれぞれ連結しても、X3とX1の運動や静止が互いに相手を排除するのならば、X1の運動や静止が繰り返されるとき、X3の運動や静止が繰り返されず、逆に、X3の運動や静止が繰り返されるとき、X1の運動や静止は繰り返されなくなってしまうからである。この場合、結局のところ、一方の連結だけが残るか、どちらの連結も残らないかのいずれかである。このことはX1とX2、あるいは、X2とX3が連結せず、他が連結している場合も同様である。そして、X1,X2,X3,X4が連結するとは次の四つの場合のいずれかである(以下、傍線は微粒子群どうしの連結を表す。また、丸の中はX1,X2,X3,X4のいずれの微粒子群でもよい):
1. それらの微粒子群すべてが互いに連結するもの。



 
 
2. これら六つの連結のうち、ひとつが欠けているもの。ただし、その連結しない微粒子群の運動や静止は互いに相手を排除しないものとする。


 
 
3. これら六つの連結のうち、二つが欠けているもの。ただし、その連結しない微粒子群の運動や静止は他の微粒子群の運動や静止を排除しないものとする。




 

4. これら六つの連結のうち、三つが欠けているもの。ただし、その連結しない微粒子群の運動や静止は他の微粒子群の運動や静止を排除しないものとする。




それらの連結しない微粒子群の運動や静止が他の微粒子群の運動や静止を排除する場合、三つ微粒子群の連結に縮小するか(2,3,4)、二つの微粒子群の連結に縮小するか(2,3,4)、あるいは、すべての連結を失うか(3,4)のいずれかである。
三つの微粒子群の連結に関して、そのうちの二つの微粒子群が排除し合わないことが条件とされているものを「開かれている」とするならば、もう一方は「閉じている」ことになる。この観点からすると、4.の場合が開かれているのに対して、3.の場合は閉じている。そして、2.の場合はその部分として二つの閉じた(三つの微粒子群の)連結を持ち、かつ、その全体が3.の場合と同様に閉じている。従って、それは三重に閉じている。また、1.の場合はその部分として四つの閉じた連結を持ち、かつ、その全体が3.の場合と同様に閉じている。従って、それは五重に閉じている。連結する微粒子群の数が更に増えれば、その場合分けの数も増える。しかし、それらはいずれも開かれたものと閉じたものに区別され、閉じたものは複数の閉じた部分と全体の重合したものとなる。
三つ以上の微粒子群が相互作用する場合、こうした連結以外にもそれらの微粒子群が互いに相手の運動や静止の繰り返しを支えるやり方がある。今、ここに第一特徴からの偏差をなす三つの微粒子群X1,X2,X3があるとする。このとき、X1の運動や静止がX2の運動や静止の繰り返しを支え、X2の運動や静止がX3の運動や静止の繰り返しを支え、かつ、X3の運動や静止がX1の運動や静止の繰り返しを支えるのならば、それらが連結していなくとも、その全微粒子群X1+X2+X3の運動や静止は繰り返されることになる:
            
相互作用する微粒子群の数が四つ以上に増えたとしても同じことである。しかし、連結の場合とは異なり、微粒子群どうしの支え合いは必ず閉じていなければならない。また、連結が双方向的であるのに対して、こちらは一方向的である。それ故、こちらを「単連結」と呼ぶのならば、連結の方は「二重連結」ということになる。そして、全微粒子群の運動や静止の繰り返しをもたらす微粒子群どうしの相互作用には、これら単連結や二重連結ばかりでなく、それらの混合したものもある。
こうして、n個の微粒子群が連結することによって、その運動や静止が繰り返される。従って、この繰り返しを可能にする相互作用は有限な微粒子群におけるものである。ところで、その微粒子たちは互いに相互作用するばかりでなく、無限の広がりを占めている他の微粒子たちとも相互作用している。それ故、それらの微粒子群においても、その有限な相互作用によるものとは異なる運動や静止がなされている。つまり、運動や静止が繰り返されるところでは、その繰り返しからの偏差もまた絶えず生じているのだ。故に、微粒子群どうしが連結しても、それによってもたらされる繰り返しは不可逆的に減衰し、その有限様態はやがて無限様態の中に消滅する。
ここで再び微粒子群どうしの連結について考えてみよう。その連結は第一に、一方の微粒子群における運動や静止が他方の微粒子群における運動や静止を繰り返すように働くことであり、第二に、その働きが同時的にそれらの微粒子群において生じることである。それ故、有限様態の部分と全体が一機に生じる以外に、それらが繰り返されることはない。なぜならば、諸部分の運動や静止が互いに支え合う限りにおいてしか、全体の運動や静止が繰り返されることはないからである。ある微粒子群において、その運動や静止の反復をもたらすものはこれと大分異なる。その有限様態は諸部分が互いに支え合うことによって成立するのではなく、第一に、無限の広がりを占める微粒子たちの一群において、第一特徴と異なる運動と静止がなされることであり、第二に、その運動や静止が繰り返されるべく、その微粒子群が自らと相互作用するということである。ところで、どのような微粒子群も、その第一特徴からの偏差が他の微粒子たちの運動や静止によって支えられなければ、その運動や静止を繰り返すことが出来なかった。また、どのような微粒子群も、その繰り返しからの偏差に絶えず晒されており、そのことがその繰り返しを不可逆的に減衰させる原因であった。ある微粒子群が自らと相互作用するということは、それが他の微粒子群の支えを持たないということである。その運動や静止は自らと異なる運動や静止として、その繰り返しからの偏差を持つのみである。その運動や静止の繰り返しは、その繰り返しからの偏差そのものによって支えられているのだ。
繰り返しの場合、一方の部分で繰り返される運動や静止が他方の部分の運動や静止の繰り返しを支え、他方の部分で繰り返される運動や静止が一方の部分の運動や静止の繰り返しを支えるため、まさしくその運動や静止の全体が繰り返される。従って、繰り返されない運動や静止はすべてその繰り返しからの偏差である。それに対して、反復の場合、繰り返しからの偏差をなす運動や静止がその繰り返しを支える。なぜならば、繰り返されない運動や静止をなす微粒子たちが、別の微粒子たちに対して、その繰り返される運動や静止をなすように働き掛けるからである。当然のことながら、その繰り返しを支える運動や静止は繰り返されない。また、繰り返されない運動や静止は数限りなくある。従って、もしもその繰り返しを支える運動や静止が僅かしかないのならば、その繰り返しからの偏差の増大によって、その繰り返される運動や静止はたちまち繰り返されなくなるであろう。反復にはその繰り返しを支える、それ自身は繰り返されない運動や静止が十分にある。それ故、ある微粒子たちの運動や静止がその繰り返しを支えなくなってしまっても、また別の微粒子たちの運動や静止がそれを支える。微粒子たちはその運動や静止をなしては、次の瞬間、別の運動や静止へと分散してゆく。これが繰り返されることによって、その繰り返される運動や静止が反復する。逆に言えば、反復する運動や静止は、繰り返されない運動や静止をなす微粒子たちが、それらのすべてではないまでも、その繰り返しを支えるのには十分に、別の微粒子たちに対して、その繰り返される運動や静止をなすように働き掛ける、そうしたものなのだ。これは奇跡でも何でもない。私たちの身の回りに存在する最もありふれた物体から、最も希少な物体まで、それらの微粒子群においては、そうした運動や静止がなされている。
既に述べたように、繰り返されない運動や静止をなす微粒子たちのすべてが、他の微粒子たちに対して、そのように働き掛けるわけではない。従って、他の微粒子たちに対してそのように働き掛けた微粒子たちは、次の瞬間、その運動や静止によって繰り返しを支える別の微粒子たちに働き掛けられるのならば、それら自身がその反復する運動や静止をなすが、一方、そのように働き掛けられないのならば、それら自身は別の運動や静止をなすことになる。そして、その別の運動や静止がその繰り返しを支えるものであるのならば、それらの微粒子は再び、別の微粒子たちに対して、その繰り返される運動や静止をなすように働き掛けるが、一方、そうでないのならば、別の運動や静止へと分散してゆく。こうした過程を通じて、その運動や静止によって反復を支える微粒子が増加すれば、その物体は活動力を増大させる。しかし、その増加は分散する微粒子の減少を必ずしも伴わない。むしろ、その増加を伴うことすらある。なぜならば、反復する運動や静止をなす微粒子自体の総数が増加することによって、その反復に直接関与する相互作用の総数もまた増加するからである。逆に、その運動や静止によって反復を支える微粒子が減少すれば、その物体は活動力を減少させる。しかし、その減少は分散する微粒子の増加を必ずしも伴わない。むしろ、その減少をともなうことすらある。なぜならば、反復する運動や静止をなす微粒子自体の総数が減少することによって、その反復に関与する相互作用の総数もまた減少するからである。
反復は繰り返しと異なり、繰り返される運動や静止の支え合いを必要としない。しかし、だからと言って、反復がそうした繰り返しを排除するわけではない。繰り返される運動や静止の中には反復を支えることの出来るものもある。なぜならば、繰り返される運動や静止をなす微粒子たちが、他の微粒子たちに対して、その反復する運動や静止をなすように働き掛けることがあるからである。逆に言えば、反復する運動や静止は、繰り返される運動や静止をなす微粒子たちが、それらのすべてではないまでも、その反復を支えるのには十分に、他の微粒子たちに対して、その反復する運動や静止をなすように働き掛ける、そうしたものであり得るということである。同様のことが、繰り返される運動や静止ばかりでなく、別の反復する運動や静止にも言える。即ち、反復する運動や静止は、別の反復する運動や静止をなす微粒子たちが、それらのすべてではないまでも、その反復を支えるのには十分に、他の微粒子たちに対して、その反復する運動や静止をなすように働き掛ける、そうしたものでもあり得るということ。
従って、反復には次の三つのタイプがある。①繰り返されない運動や静止のみに支えられた反復、②それに加えて、繰り返される運動や静止に支えられた反復、③それらに加えて、別の反復する運動や静止に支えられた反復。①と②は最単純物体の場合であり、逆に、最単純物体にはそれらに対応した二種類があるということである。一方、③は第n種物体の場合である。①の場合、繰り返されない運動や静止だけで、その反復を支えるのに十分である。一方、②の場合、それだけでは不十分であり、繰り返される運動や静止がそれに加えられなければならない。また、③の場合、それらだけでは不十分であり、別の反復する運動や静止がそれらに加えられなければならない。
②や③の場合、反復する微粒子群は繰り返される部分や別の反復する部分を持つことになる。しかし、繰り返されるだけの微粒子群とは異なり、これらの反復する微粒子群においては、その繰り返される諸部分や別の反復する諸部分どうしが相手を排除する場合でも、その反復は必ずしも縮小したり、減衰したりしない。それどころか、ある部分が他の部分に排除されることによって、その反復自体が強化されることすらあるのだ。なぜならば、どのような反復も、様々な繰り返されない運動や静止によってその繰り返しが支えられているため、たとえその繰り返される部分や別の反復する部分が排除されたとしても、他の部分における運動や静止がその反復を支えるのに十分であれば、その反復自体が不可能になることはないからである。そして、もしもその部分の消滅に伴って、より多くの微粒子が他の微粒子たちに対して、その反復する運動や静止をなすように働き掛けるのならば、その物体は活動力を増大させる。それ故、反復する微粒子群においては、そのような矛盾が必ずしも縮小や減衰をもたらさないばかりでなく、逆に、その物体に進化や発展をもたらすことすらある。しかし、誤解しないで頂きたい。進化や発展は矛盾を原因とするわけではない。物体の諸部分間に矛盾のある場合も、矛盾のない場合も、その全体が発展することもあれば、進化することもある。なぜならば、物体の発展や進化とは、その反復が強化された微粒子群において、新しい繰り返しや別の反復をなす、より多くの微粒子がその反復を支えるようになることだからである。
第n種物体に限らず、繰り返される出来事も、繰り返されない出来事も、微粒子だけを構成要素とするのではない。物体や別の繰り返される出来事もまた、それらの出来事の構成要素となる。無限様態のただ中に何らかの物体や繰り返される出来事が生成すると、それらの物体や出来事を構成する微粒子はその構成関係に従って、他の微粒子たちと相互作用し始める。しかし、複数の有限様態が生成したとしても、それらの微粒子群が互いに相手の相互作用域の外部に存在するのならば、一方を構成する微粒子と他方を構成する微粒子は近づき合うか、遠ざかり合うか、互いに静止するかのいずれかでしかない。このとき、それらの有限様態の間にはどのような出来事も起こらない。一方、それらの微粒子群の一方が相手の相互作用域の内部に存在するのならば、その運動や静止は第一特徴からの偏差をなす。このとき、それらの有限様態の間で何かが起こる。しかし、それだけであるのならば、その出来事が繰り返されることはない。なぜならば、その出来事が繰り返されるためには、それらの有限様態を構成する微粒子が、他の微粒子たちに対して、そのように働き掛けなければならないからである。なるほど、それらの微粒子は相互作用している。しかし、だからと言って、それらが他の微粒子たちに対して、その出来事の運動や静止を繰り返すように働き掛けるとは限らない。このとき、それらの有限様態の間では、それ自体は繰り返されることのない、様々な出来事が起こっては消えてゆくだけである。
複数の有限様態を構成する微粒子群が相手の相互作用域の内部に存在し、かつ、それらの微粒子が他の微粒子に対して、その繰り返しをなすように働き掛けるのならば、その出来事は繰り返される。しかし、その出来事が繰り返されるようになっても、その繰り返しからの偏差が大きくなれば、やがてそれは繰り返されなくなる。ところで、その出来事の構成要素はそれ自身で繰り返されているか、反復しているかのいずれかである。それ故、たとえそれらから構成された出来事が繰り返されなくなっても、その構成要素をなす出来事が繰り返されなくなるとは限らず、また、その構成要素をなす物体も消滅するとは限らない。このとき、それらの出来事や物体は別の出来事の構成要素となるか、あるいは、それらの微粒子群が互いに相手の相互作用域の外部に存在するようになるかのいずれかである。この点、繰り返される出来事と第n種物体との間に違いはない。即ち、第n種物体の消滅後、それを構成する物体が消滅するとは限らず、また、それを構成する出来事も繰り返されなくなるとは限らない。しかし、第n種物体の場合とは異なり、繰り返される出来事の構成要素は互いに相手を排除するものであってはならない。なぜならば、もしも一方の構成要素が他方の構成要素を排除するのならば、その出来事は自らの構成要素の一部を失うことになり、従って、それらの要素から構成された出来事が繰り返されることも不可能になるからである。それ故、第n種物体がその部分どうしの矛盾を許容するのに対して、繰り返される出来事にはそうした矛盾を許容することが出来ない。




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